横須賀海軍水道路 半原系統
所在 海老名市大谷 ↓ 海老名市上郷 2
収録遺構 (12) 軍用地境界標 12
実地調査 2010年 7月 |
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横須賀海軍水道路は、横須賀市におかれていた横須賀海軍工廠を中心とした海軍施設に対して水を供給する目的で、1876年(明治 9)に専用の水道が走水の水源地より敷かれました。しかし施設の拡大に伴って水の需要が増えてしまい、この専用水道だけでは供給不足となり、新たに相模川の支流となる中津川を水源に、愛川町の半原より横須賀市の逸見浄水場までの約53kmにわたる長大な水道路の敷設が計画され、1918年(大正 7)に半原系統として通水し、海老名市を縦断しています。
戦後、水道路は横須賀市に移管されて、市民が使用する水道として使われていますが、軍用地境界標を中心とした遺構が現存しています。
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