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 東京都千代田区の軍事遺跡一覧 収録遺構数:12 


 陸軍近衛師団
 司令部


 所在
  千代田区北の丸公園

 収録遺構 (2)
  建物 1,
  地下壕 1

 実地調査
  2005年 8月

  2005年時点の詳細をご紹介します





近衛師団は、天皇と皇居を防衛する部隊としてそれまでおかれていた宮城部隊 (薩摩・長州・土佐の 3藩から構成された御親兵) の再編成と改称により1891年(明治24)に開設され北の丸地区に師団司令部と、近衛歩兵第一連隊・近衛歩兵第二連隊がおかれていました。

師団に従属する近衛兵は、天皇が移動する際にそのお供として行列に加わるので (供奉:ぐぶ)品行がよくて成績良好な優秀者から選抜されていました。このため、師団に従属することは、軍隊の中でも名誉であるとされていました。

現在、敷地跡地は北の丸公園となっていますが公園の南側に遺構がわずかに残っています。



 陸軍東部高射砲集団
 千鳥ヶ淵高射砲台


 所在
  千代田区北の丸公園

 収録遺構 (7)
  砲座 7

 実地調査
  2005年 8月






千鳥ヶ淵砲台は、皇居や周辺の重要施設などを防衛するために構築された高射砲台で1944年(昭和19)に完成しました。

ここには全周角を持つ九八式高射機関砲が 7門据え付けられ、上空に敵戦闘機が飛来すると、皇居周辺に配置された他の高射砲群と連携して一斉に撃ち込み、弾幕を張ったそうです。

現在も砲座が公園内に残存しており、化粧版が付けられてベンチ代わりに活用されています。



 陸軍東部軍管区
 司令部

 (接収建物)


 所在
  千代田区
  有楽町 1-13
  (第一生命ビル)

 収録遺構 (1)
  建物 1

 実地調査
  2005年 8月






この建物は第一生命の本社ビルとして1938年(昭和13)に建築されたものですが、陸軍が接収して、関東と北陸・東北の一部の防衛を担った東部軍管区の司令部庁舎として使われ、屋上に周辺施設を防衛するための高射砲台が据え付けられました。

戦後は、占領軍(GHQ)の司令部庁舎に使用されマッカーサー大将の執務室がおかれました。

現在、屋上に据え付けられた高射砲は撤去され改装工事を施して第一生命のビルに使用されています。



 軍人会館

 所在
  千代田区
  九段南 1-8
  (九段会館)

 収録遺構 (1)
  建物 1

 実地調査
  2005年 8月






軍人会館は、軍人の訓練や宿泊を目的として、1934年(昭和 9)に帝国在郷軍人会によって設立された建物です。

1938年(昭和11) 2月26日に東京の歩兵連隊が中心となり、国家の改革を狙ったクーデターが起き(二・二六事件)、一時的にこの建物を戒厳司令部としても使用されています。

戦後、建物は国の所有となり、「九段会館」と改称されて現在に至り、日本遺族会が運営する施設として活用されています。 (余談ですが、同会に対して国有財産を無償で貸与する法律があるようですよっ★)



 陸軍軍馬補充部

 所在
  千代田区
  富士見 2 ほか

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2012年 7月






軍馬補充部は軍馬の購買や供給・育成や調教を行う部署で、この前身の軍馬局が1874年(明治 7) におかれたことがはじまりです。のち、軍馬育成所・軍馬補充署と名前を変え1896年 (明治29) 5月には国内各地に支部も設けられて拡大され、ここを中央馬廠として終戦まで機能していたようです。

現在、跡地は東京逓信病院や嘉悦女子大学付属高校などに変遷しており、当時の建物は残っておらず、敷地の東端に軍用地境界標が 1つだけ残存するのみとなっています。



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