陸軍第三一六師団 抵抗拠点陣地
所在 茅ヶ崎市芹沢 ほか
収録遺構 (5) 地下壕 5
実地調査 2007年 10月 (継続調査中) |
芹沢・赤羽根の洞窟陣地は 規模が小さく、掘削途中で 方針転換により投げ出した 感じがします★
実際はどうなんだろう・・ | |
| 洞窟陣地は、掲載以外にも 間違いなく構築されており 現存する可能性大です。
時間がある方は、是非とも 調べてみてくださいね★ (情報を募集してます♪) |
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第三一六師団は、1945年(昭和20)6月に東京で編成されて開設された特設師団で、第一総軍の第十二方面軍に所属していた第五十三軍の隷下部隊です。
1944年(昭和19)6月のマリアナ沖海戦の敗退でアメリカ軍は「コロネット作戦」と呼ぶ日本の本土への上陸作戦を計画します。その内容は、相模湾と千葉県の九十九里浜より上陸し帝都に攻め入るというもので、これに対して日本軍は「本土決戦」を計画し第五十三軍は相模湾から上陸された場合に備えて沿岸の防備を担当し、その中で第三一六師団は相模川の東より藤沢に至る地域の防衛にあたりました。
当初、第五十三軍の防衛方針としては、藤沢の片瀬山と大磯の千畳敷山・伊勢原の大山に 3大拠点を設け、これらの中間にあたる地域には、海岸より3キロ〜5キロ離れた後方の丘陵部分に陣地を設け、拠点火砲網を突破し上陸した敵を中間部が撃滅する後退配備がとられ、茅ヶ崎は芹沢・香川・行谷・赤羽根に洞窟式の陣地群が構築されました。
しかし、海岸部に近い場所での決戦を重視する作戦に変更されたため、海岸から1キロほどの水際へ主陣地が移されました。この作戦は敵が火砲網を突破した場合は、海岸に向かい一斉に飛び出して刺し違えるといったもので、敵弾はもちろん、友軍の砲弾まで浴びてしまい戦死は免れず、実際にそうなった場合は戦闘が20分も持たないと予想されました。
第五十三軍は複数部隊が隷下におかれましたが特に第三一六師団は作戦の中心におかれており「はりつけ師団」と呼ばれていたそうです・・
第三一六師団が守備を予定していた洞窟陣地は現在も山林に残っており、崩落が著しいですが一部は見学が可能です。
残念ながら写真を全て消失させてしまったので本ページと詳細ページ内の写真は、重鎮として名高い OKN先生からの提供写真ですっ★
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