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 東京都文京区の戦争遺跡一覧 収録遺構数:14 


東京陸軍砲兵工廠


 所在
  文京区春日 1 ほか

 収録遺構 (3)
  地下施設 1,
  建物基礎 1,
  その他 1

 実地調査
  2005 8
  2005年時点の詳細をご紹介します


一部は小石川後楽園に
(有料)残ってますよ★
でも 1つだけです・・
畝傍:一緒に勉強しませんかっ★

東京陸軍砲兵工廠は、小銃類を製造するための工場として、政府が1869(明治 2)に、これの前身である造兵司を設置したことから始まり、小銃製造所、砲兵第一方面砲兵支廠と改称され拡大されていき、1879(明治12)に設立された陸軍管轄の小銃・砲具・精器の製造工場ですが1923(大正12)に発生した関東大震災によって施設の大半を消失してしまい、復旧が不可能な状況となり、1926(昭和 2)に福岡県の小倉市(北九州市)へ移転して小倉兵器製造所と統合し造兵廠小倉工廠が設立されました。

開設当初は、村田銃や三八式歩兵銃などを製造していましたが、1923(大正12)以降は砲具や精器も製造されるようになりました。

現在、跡地は東京ドームや後楽園遊園地などになっていますが、当時の遺構がわずかに残っています。


音羽陸軍埋葬地


 所在
  文京区大塚 5

 収録遺構 (3)
  軍用地境界標 3

 実地調査
  2007 5
  2007年時点の詳細をご紹介します





音羽陸軍埋葬地は、第一師団と近衛師団に所属していた戦没者や戦病没者の方々が埋葬されている陸軍墓地で、約 2,400の墓標があります。

現在は、敷地の一部が区立青柳小学校や、日大豊山中・高校となっていますが、墓地は現在も残っており、護国寺で管理されています。

なお、埋葬地敷地南側にあたる墓地の南端には軍用地境界標が 3つ残存しています。


陸軍大塚弾薬庫

 (東京陸軍兵器支廠
 大塚弾薬庫)


 所在
  文京区大塚 2

 収録遺構 (8)
  軍用地境界塀 3
  軍用地境界標 5

 実地調査
  2010 1
  (文献調査中)
  2010年時点の詳細をご紹介します



祐実:ごめんなさいねっ▲
ちゃんと解ってないのに
掲載を先行させちゃって
申し訳ないですっ・・▲
文献調査を継続中ですが
ご存知の方は是非教えて
くださいねっ♪


大塚弾薬庫は、第一師団と近衛師団で使用する弾薬類を一時的に保管することを目的として、1890(明治23)に設置されました。のち、組織改変によって、東京陸軍兵器支廠に属しますが機能は変わらず弾薬庫として使用され、昭和の初期に閉鎖されました。1932(昭和 7)からは東京女子高等師範学校が跡地に入り、お茶の水女子大学となって現在に至っています。

現在、この施設に関する情報を保有しておらず中途半端な調査となっており、文献調査を継続しているところですが、施設の具体的な経緯をご存知の方は教えていただけると助かります★

文献調査よりも、実地調査が先行していますが現在も軍用地境界標を中心とした遺構が残っています。

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