陸軍被服本廠 朝霞出張所 (陸軍被服本廠 朝霞支廠)
所在 朝霞市膝折 ほか
収録遺構 (6) 建物 1, 建物基礎 4, その他 1
実地調査 2013年 8月
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ごめんなさいっ! 探訪時期が悪く、 かなり薮が深くて 敗走しましたっ▲
再度、振武台予科 士官学校の踏査に 併せ再訪します★
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被服本廠は、軍服や軍靴など、兵隊が身に付ける装備品を製造していた工場で、当初は本所に設置されていましたが他地区に分散していた各倉庫を集約しつつ赤羽に移転し、軍備拡張のため更なる増産を迫られたために1941年(昭和16)に出張所が朝霞に開設されました。
ここでは、軍服・軍靴の他に、毛布や防毒マスクなどが生産され、東武東上線の朝霞駅の手前から引き込まれた軍用線を使用して搬出されました。また、生産能力も拡大され1945年(昭和20)の組織改定で被服本廠の出張所から支廠へ昇格しますが終戦となりました。
戦後、敷地はアメリカ軍に接収されて「キャンプドレイク」と呼ばれた駐屯地に転用されましたがその後日本に返還されて、現在は朝霞中央公園や学校などとなっており、当時の遺構が少し残っています。
残念ながら、探訪した時期が夏だったこともあり草や木が生い茂った状態で遺構の判別が出来ずに敗走してしまいましたっ▲
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