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 茨城県稲敷郡阿見町の軍事遺跡一覧 (作成中です) 収録遺構数:53 


 霞ヶ浦海軍航空隊


 所在
  阿見町
  中央 3 ほか

 収録遺構 (36)
  門柱 5,
  建物 12,
  建物基礎 2,
  地下施設 1,
  飛行機掩体 2,
  軍用地境界塀 2,
  軍用地境界標 1,
  その他 11

 実地調査
  2021年 8月

  2021年時点の詳細をご紹介します







霞ヶ浦海軍航空隊は、航空機の操縦・整備・航空戦術などの教育を行うことを目的として1922年(大正11)11月に開設され、横須賀・佐世保に次ぐ 3番目の航空隊として編制されました。

この地に設置された背景には、「阿見原」と呼ばれる広大な敷地が陸上機の練習に適していたことと、霞ヶ浦の湖畔にも近く水上機の練習にも適していたことなどが挙がります。

ここでは、航空隊要員を養成するための飛行教育が終戦にいたるまで続けられ、特に日中戦争太平洋戦争が始まると多くの搭乗員を養成する基地としての役割を果たし、霞ヶ浦航空隊の名前を全国に轟かせました。

現在、跡地は茨城大学やキリン協和フーズ・住宅地などに変遷していますが、茨城大学とその周辺に当時の遺構が数多く残っており、見学することが可能です。

かつては、写真のような
飛び込み台なども残って
いましたが、残念ながら
現在は消失しています▲

それでも、かなりの数の
遺構が残っていますっ★
優子:是非、訪れてみてっ★

 土浦海軍航空隊

 所在
  阿見町青宿 ほか

 収録遺構 (9)
  建物 5,
  軍用地境界標 1,
  その他 3

 実地調査
  2021年 10月

  
2021年時点の詳細をご紹介します








土浦海軍航空隊は、海軍航空兵の養成制度の
 1つであった予科練への教育を目的に霞ヶ浦海軍航空隊の予科練部を移した形で1940年(昭和15)に開設されました。

ここでは、試験選抜された少年飛行兵に対し航空機の操縦・整備・航空戦術などの教育が行われ、飛行練習生課程を経て太平洋戦争の末期には多くの特攻作戦に従事しています。

現在、跡地は陸上自衛隊の武器学校や農地になっており、このうち武器学校内には当時の遺構が残っています。


 横須賀海軍軍需部
 霞ヶ浦支部


 所在
  阿見町
  うずら野 4 ほか

 収録遺構 (1)
  門柱 1

 実地調査
  2013年 12月






軍需部は、兵器や燃料・物資などを補給する重要な役割を果たした部署で、阿見に霞ヶ浦海軍航空隊が設置されたことによって横須賀海軍軍需部の支部がおかれ、倉庫や燃料庫が設置されていました。

現在、敷地跡は陸上自衛隊朝日分屯地や住宅などに変遷しており、当時の面影が全くない状況ですが、朝日分屯地の敷地付近に当時の門柱と思われる遺構が残っています。

また、JR常磐線から分岐して霞ヶ浦支部や航空隊方面へと延びる軍用線もありましたが現在は道路拡張で消失しているようです▲

 横須賀海軍施設部
 霞ヶ浦支部


 所在
  阿見町岡崎 3

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2013年 12月






施設部は、軍事施設の建設と建造物の維持をしていく部署で、阿見に霞ヶ浦海軍航空隊が設置されたことにより、横須賀海軍施設部の支部が隣接しておかれていました。

現在、敷地跡の大半が住宅地となっており、当時の面影が全くありませんが、敷地の西側境界を表す軍用地境界標が 1つだけ残存しています。


 海軍軍用道路


 所在
  阿見町中央 3
    ↓
  阿見町廻戸

 収録遺構 (2)
  軍用地境界標 2

 実地調査
  2013年 12月

  2013年時点の詳細をご紹介します





海軍道路は、阿見町に多くの軍事施設が設置されたことにより、交通路を整備する必要が出てきたことで開通した軍道で、霞ヶ浦海軍航空隊の本部から水上機の練習場 (のち土浦海軍航空隊の敷地となります) を舗装道路で結んでいました。

現在、この区間は県道として存続しており、軍道の名残を表す軍用地境界標が残るほかに軍道に沿って植樹した桜の木が現存しているようです。

 海軍航海学校
 分校

 (海軍気象学校)


 所在
  阿見町曙

 収録遺構 (3)
  その他 3

 実地調査
  2021年 8月









航海学校は艦船の運用に必要な航海・操艦・光学通信・観測の各術科を修得させるための教育機関で、このうち観測を専門に取り扱う分校が1944年(昭和19)に開設されました。

翌年の1945年(昭和20)に入ると、特に気象観測が重要なものになり専門教育を図るべく気象学校として航海学校から分離して独立し修了者は戦線や司令部へ派遣されました。

現在、敷地跡の大半が住宅地となっており、当時の面影がありませんが、校内におかれた神社の社殿や水道施設の一部が敷地の東端に残存しています。


 第一海軍航空廠
 舟島倉庫


 所在
  阿見町島津 ほか

 収録遺構 (1)
  その他 1

 実地調査
  2021年 8月






舟島倉庫は霞ヶ浦一帯に展開した航空部隊の飛行機の造修と補給を担当した第一航空廠の倉庫の1つとして設置されたようです。

資料が揃わず詳細は判りませんが、終戦後の航空写真を見る限りでは飛行機倉庫が6棟と付属建物が設置されていたようです。

現在は防衛装備庁航空装備研究所に変遷し、建物系は消失しているようですが、揚陸場と考えられる突堤が残っています。

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