熊谷陸軍飛行学校 中津分教所
所在 愛川町中津 ほか
収録遺構 (8) 建物 1, 門柱 2, 地下壕 2, 橋梁 1, その他 1 建物(消失) 1
実地調査 2021年 7月
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少し前までは、飛行機の 格納庫がいくつか残って いたようですが、現在は 残念ながら消滅しており 記録出来ませんでした■
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熊谷陸軍飛行学校は、下士官や少年飛行兵達に対し、飛行機の操縦方法や技術などを教育する目的で1935年(昭和10)に現在の熊谷市に開設された教育機関で、戦局に沿って飛行兵を拡充させる必要が出てきたため、主に少年飛行兵へ教育を施すことを目的として分教所が1940年(昭和15)に設置されました。
ここでは、「赤トンボ」の名称で知られている九五式中間練習機を使用して、飛行機の操作や操縦技術などを生徒に教えていましたが、戦争末期は戦局の悪化に伴い、他の部隊も加わって防空任務を担う航空基地となり、戦闘機が配備されるようになりました。また、これに合わせ特別攻撃隊の訓練もここで行われるようになり最終的に九州の出撃基地へ送られたそうです。
現在、跡地のほとんどは内陸工業団地となり、沢山の工場や倉庫などが建てられているために当時の面影がほとんどありませんが、少しだけ遺構が残っており見学も可能です。
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